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東京地方裁判所 平成7年(ワ)7440号 判決

原告

有限会社米山

右代表者代表取締役

丸山昭博

右訴訟代理人弁護士

山下基之

松田生朗

被告

村上吉光

右訴訟代理人弁護士

石井誠一郎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金二二九三万八三六一円及びこれに対する平成七年五月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告が、賃借店舗で寿司・割烹店の営業をしていたところ、被告との間で建物賃借権の譲渡の交渉を進め、譲渡契約の締結の話がまとまり、原告に契約が成立するとの信頼を抱かせるに至ったのに、被告が一方的に契約の締結を拒否し損害を被らせたとして、被告に対し、契約準備段階における信義則上の注意義務違反を理由に債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償を求めた事案である。

一  基礎となる事実(認定証拠は対応箇所に掲記)

1  有限会社国際ファーマシー(以下「国際ファーマシー」という。)は、昭和六一年七月一八日、亜土商事株式会社(後に「ティ・エム興産株式会社」と商号変更、以下「ティ・エム興産」という。)との間で、別紙物件目録一記載の建物部分(以下「本件店舗」という。)を、寿司・割烹店の営業を目的とし、賃料一か月一二七万五〇〇〇円、共益費一か月二五万五〇〇〇円(以下、賃料及び共益費を「賃料等」という。)、敷金三八二五万円、保証金八九二五万円(以下、敷金及び保証金を「保証金等」という。)、期間昭和六一年一〇月二四日から昭和六三年一〇月二三日まで(二年間毎の更新可能)、賃借人は六か月分の予告賃料等を支払って即時解約することができ、賃借人の費用をもって原状回復した上明け渡すとの約定で賃借するとの貸室賃貸借契約を締結した(甲一)。

2  原告は、寿司・割烹店の経営を目的として昭和六一年九月一日に設立し(争いがない)、国際ファーマシーから業務委託を受けて営業していたが、昭和六三年一月二二日、ティ・エム興産との間で、前記1と同様の約定による貸室賃貸借契約(以下「本件賃貸借」といい、右賃貸借に基づく賃借権を「本件賃借権」という。)を締結した上(甲一)、本件店舗において寿司・割烹店の営業をしていた(争いがない)。

3  原告は、平成五年春ころから、被告との間で、本件賃借権の譲渡の交渉を進めたが、契約の締結に至らず、平成六年一月三一日、ティ・エム興産に対し、即時解約の申入れをして本件店舗を明け渡した(甲二)。

4  原告は、平成六年二月二二日、ティ・エム興産との間で、ティ・エム興産の返還すべき保証金等一億二七六八万円と、原告の支払うべき原状回復費用五〇〇万円、平成四年一一月分から平成六年一月分までの未払賃料等二五一三万三六五〇円、即時解約に伴う六か月の予告賃料等一二一九万三八二〇円、その他駐車場使用料等の合計四一一七万六一三〇円とを差し引き精算する旨合意した(甲二)。

二  争点

1  被告の損害賠償義務の存否

(一) 原告の主張

(1) 原告は、平成五年に至り、業績が悪化したことから本件賃借権を他に譲渡することとし、同年春ころ、取締役の遠藤米子(以下「遠藤」という。)を通じて被告に対し、本件店舗における寿司・割烹店の営業の話を持ち込み、交渉を進めたところ、同年一一月一五日に譲渡契約を締結する話がまとまり、賃貸人であるティ・エム興産の承諾を得た上、女性従業員らを解雇するなどして本件店舗を閉鎖する準備を進めた。

(2) 原告の代表取締役である丸山昭博(以下「丸山」という。)は、かねてより遠藤から同人の夫所有名義の別紙物件目録二記載の建物(以下「南烏山の建物」という。)を借りて居住し、同年一〇月末ころ、遠藤からその明渡を求められ、譲渡契約から一か月後に明け渡すこととして、被告も了承したが、契約締結の三日前になって、譲受人として被告が設立すべき法人の登記が未了であるとして一方的に延期を求められ、さらに、契約の締結が予定されていた同年一一月一五日には、丸山が南烏山の建物を明け渡すことが契約締結の先決であるとの申出を受けた。

(3) そこで、丸山は、原告の代表者として、被告との間で、改めて南烏山の建物を明け渡した後の同年一二月二二日に譲渡契約を締結することを合意し、同年一二月六日従業員全員を解雇して本件店舗を閉鎖し、同年一二月一七日南烏山の建物も明け渡したところ、その後、被告は、一転してこの合意を翻し、一方的に譲渡契約の締結を拒否するに至り、このため、原告は、前記のとおり、ティ・エム興産との本件賃貸借を即時解約せざるを得なくなった。

(4) 右のとおり、被告は、原告に本件賃借権の譲渡契約が成立するとの信頼を抱かせるに至ったのに、一方的に契約の締結を拒否したものであるから、契約準備段階における信義則上の注意義務に違反したものとして、債務不履行責任ないし不法行為責任に基づき、譲渡契約の締結に至らなかったことにより原告に生じた損害につき賠償責任を免れない。

(二) 被告の主張

(1) 被告は、遠藤の大蔵産業株式会社(以下「大蔵産業」という。)に対する債務について連帯保証人となり、自己所有の別紙物件目録三記載の建物(以下「八潮のマンション」という。)に極度額五〇〇〇万円の根抵当権を設定していたが、遠藤の債務不履行により返済を迫られているほか、担保提供した自己所有株式の担保権を実行され、遠藤に対する二三七六万円余の求償債権が未回収であって、本件店舗で新規に寿司・割烹店の営業をする独自の資金力を有していなかった。一方、原告がティ・エム興産との間で本件賃貸借をする際に預託した保証金等一億二七五〇万円のうち九〇〇〇万円は、山一ファイナンス株式会社(以下「山一ファイナンス」という。)から借り受けたものであった。

(2) 被告は、原告から本件賃貸借の譲渡の話を持ち掛けられた際、遠藤から、新規開店に必要な諸費用三〇〇〇万円は同人において用立てるとの説明がされ、また、丸山からは、新規保証金は一億円とし原告が既に預託している保証金等を移行させて充当し、そのうち九〇〇〇万円は被告において山一ファイナンスに対する債務を免責的に引き受けることでこれに充て、残余一〇〇〇万円は被告の原告からの借受金として処理してはどうかとの申出がされたため、被告は、遠藤から右のとおり三〇〇〇万円の資金提供を受けることを前提として交渉を進めた。

(3) ところが、遠藤は、丸山が南烏山の建物を立ち退かない限り三〇〇〇万円を調達できないと主張し始め、この事情を丸山も承知していたが、丸山は敢えて右立退を実行せず、このため遠藤からの三〇〇〇万円の資金提供が実現しなかった結果、本件賃借権の譲渡契約の締結には至らなかったものであって、その原因は専ら原告の代表者自身にあり、被告には何ら故意又は過失はない。

2  損害額

(一) 原告の主張

原告は、被告の債務不履行ないし不法行為により、本件賃貸借を即時解約してティ・エム興産との間で保証金等と精算することを余儀なくされ、左記の合計二二九三万八三六一円の損害を被った。

ア 本件店舗の原状回復費用五〇〇万円

イ 当初の譲渡契約予定日の翌日である平成五年一一月一六日から譲渡時である平成六年一月三一日までの空家賃及び諸経費五七四万四五四一円

ウ 即時解約に伴う六か月分の予告賃料等一二一九万三八二〇円

(二) 被告の主張

原告の右主張事実は争う。

第三  争点に対する判断

一  争点1(被告の損害賠償責任の存否)について

1  前記基礎となる事実と証拠(甲一、二、五、九ないし二〇、二一の1ないし3、乙一ないし五、証人遠藤米子、原告代表者本人、被告本人)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。

(一) 遠藤は、国際ファーマシーの代表者として医薬品及び化粧品等の販売をしていたが、丸山の営業する寿司店に客として出入りするうち、新会社を設立して同人と本件店舗で寿司・割烹店を共同営業することになり、昭和六一年七月一八日、国際ファーマシーがティ・エム興産から本件店舗を賃借した。その際、ティ・エム興産に対する保証金等一億二七五〇万円、造作費用六〇〇〇万円などの開業資金はすべて国際ファーマシーが銀行借入金等により調達し、同年九月一日に寿司・割烹店の経営を目的とする原告が設立されると、遠藤及び丸山が代表取締役に、遠藤の長男及び二男と丸山の妻が役員にそれぞれ就任し、原告において、国際ファーマシーから業務委託を受け、同年一〇月ころから本件店舗で営業を始めた。遠藤は、そのころ、丸山に対し、夫の所有名義で当時空家になっていた南烏山の建物を家具、冷暖房機等備え付けで住民として貸与し、礼金六〇万円を受領したほかは、賃料は収受しなかった。

(二) 丸山は、昭和六二年一二月ころ、遠藤から単独経営を持ち掛けられ、昭和六三年一月ころまでに自己所有不動産を担保提供して、原告において横浜銀行等から一億七五〇〇万円の借入れをし、保証金等一億二七五〇万円相当分を遠藤に支払った上、原告の実質的な経営権を譲り受け、同年一月二二日、原告とティ・エム興産との間で改めて前記同様の約定による本件賃貸借を締結し、本件店舗において引き続き寿司・割烹店の営業をした。そして、丸山は、同年五月ころ、ティ・エム興産から保証金等を担保に借入をして遠藤に対し造作費用分六〇〇〇万円を支払い、平成元年五月ころ、右借入金の借替えと運転資金の調達のため、原告において右同様に保証金等を担保にして山一ファイナンスから融資を受け、ティ・エム興産に対する債務を返済したが、原告の経営状況は、同年一二月ころを境にして次第に下降に向かった。

(三) 被告は、昭和六一年五月八潮のマンションを住居として購入し、平成二年ころから、姉が代表者をしている株式会社村上音楽事務所に勤務していたが、遠藤の長男と高校の同級生であったところから、家族ぐるみで交際する関係にあった。遠藤は、大蔵産業からの借入金一億六〇〇〇万円が担保不足を来たしたため、平成二年九月ころ、被告に対して連帯保証人になることを依頼するとともに八潮のマンションに極度額五〇〇〇万円の根抵当権を設定させたほか、日経信用株式会社からの借入金二四〇〇万円のため被告から株式の担保提供も受けたが、資金繰りが悪化して平成四年一〇月ころ国際ファーマシーが倒産し、株式担保権が実行された。また、遠藤は、この間に、夫に対する離婚訴訟を提起し、平成四年一二月二一日言渡しの第一審判決により、離婚に伴う財産分与として南烏山の建物及びその敷地等の分与を受けることとされた。

(四) 原告は、平成五年二月ころには、次第に業績が悪化し、横浜銀行等に対する一億七五〇〇万円の借入金のほか、山一ファイナンスに対する九〇〇〇万円の借入金の返済が滞り、本件店舗の賃料も滞納してティ・エム興産から明渡を求められるまでになったが、本件賃貸借を解約すると、保証金等の返還を受けても違約金、原状回復費用や借入債務の返済に充てられ、造作費用の回収もできなくなるため、本件店舗での営業をやめて本件賃借権を他に譲渡することとし、ティ・エム興産の承諾を得てその譲渡を検討することになった。しかし、折からいわゆるバブル経済の崩壊もあって、譲受希望者が見付からず、丸山において、窮余、譲受人の紹介を遠藤に依頼したところ、遠藤は、被告からは前記のように担保提供を受けており、同人の姉がかねて本件店舗のような店で営業したいとの意向を有していたところから、同年春ころ、被告に対して本件賃借権の譲受けを打診した。

(五) 当時、遠藤は、夫との離婚訴訟が控訴審に係属中ではあったが、南烏山の建物及びその敷地(処分禁止の仮処分済み)を売却して開業資金三〇〇〇万円を提供する旨被告に説明したため、自己資金のない被告としては、遠藤から右資金提供を受けることを前提に、同人に対する債権の回収への期待もあって譲渡の交渉に入った。被告は、同年五月ころ、丸山との間で、内装費一〇〇〇万円を支払い、什器備品はそのまま引き継ぐこととし、ティ・エム興産との間で、保証金一億円、賃料一か月一二〇万円という賃貸条件を一応決め、保証金は原告が既に預託している分を移行させて充当し、そのうち九〇〇〇万円は被告が債務引受をするとの段取りにしたが、そもそも本件賃借権の譲渡が譲受人にとって有利な内容ではなく、それ以上に交渉が進まないため、丸山は、いったんは右譲渡をあきらめ、本件賃貸借の解約も考えた。

(六) しかし、丸山は、当時相談していた弁護士の助言もあり、譲渡の交渉を継続することにしたが、同年八月ころには、遠藤が北澤憲治との間で、南烏山の建物及びその敷地を居住者の立退を条件に三五〇〇万円で売却する話をまとめ、内金一〇〇〇万円を受領したのに、このことが被告には知らされず、遠藤は約束した資金提供を行わなかった。一方、被告は、同年一〇月ころ、丸山に対し、内装費の免除と保証金返還分二〇〇〇万円の貸付けという新たな条件を提示し、その了解を得たが、遠藤から資金提供を受ける前提として南烏山の建物の明渡を要求し、飲食店の売上が多い一二月中の開店に間に合うよう同年一一月一五日に譲渡契約を締結したいとの意向を伝えた。ところが、南烏山の建物の明渡が遅れ、被告が譲受人として予定していた有限会社青山寿司道楽の設立登記が同年一一月二五日にずれ込んだこともあって、右予定日において譲渡契約は締結されなかった。

(七) 丸山は、同年一二月六日従業員全員を解雇して本件店舗を閉鎖し、同年一二月一七日に至りようやく南烏山の建物を明け渡したが、被告は、この間において、丸山や遠藤に対して次第に不審の念を抱くようになり、将来の資金調達や採算への不安もあったところから、原告との本件賃借権の譲渡の交渉を白紙に戻すこととし、同年一二月一八日ころ、山一ファイナンスに対してその旨を通知し、その意向が原告にも伝えられて譲渡交渉は中止された。その後、原告は、平成六年一月三一日、ティ・エム興産との間で本件賃貸借を即時解約して本件店舗を明け渡し、同年二月二二日には本件賃貸借の解約合意をして保証金等との精算を終了し、差引返還金は山一ファイナンスに対する債務の返済に充てられた。なお、遠藤の離婚訴訟については、平成五年一一月三〇日に控訴審判決、平成六年五月三一日に上告審判決がそれぞれ言い渡され、第一審判決が確定している。

2  そこで、右認定事実に基づいて、原告主張の被告の損害賠償責任の存否について判断する。

本件賃借権は、当初から本件店舗における寿司・割烹店の営業を目的として設定されたものであり、原告が六年余にわたり営業した後、平成五年春ころから被告との間で営業の継続を前提に本件賃借権の譲渡の交渉が始まったものの、同年一二月に中止され、結局、平成六年一月には原告が賃貸人との間で本件賃貸借を解約して本件店舗を明け渡している。そして、本件賃貸借は保証金等一億二七五〇万円の差入れなどが賃貸条件とされており、造作費用六〇〇〇万円など多額の開業資金を要し、原告の創業当時の実質的なオーナーであった遠藤及びその後同人から原告の経営権を承継した丸山は、いずれも銀行借入金等により右資金を調達したものであって、被告との譲渡条件の交渉の中でもその債務の引受けが予定されていたとおり、当初から譲受人にとって有利な内容のものではなかったことが明らかである。

まず、譲渡人側の事情をみると、原告の経営状況が平成元年一二月ころを境にして下降に向かい、平成五年二月ころには、次第に業績が悪化し、借入金の返済が滞り、本件店舗の賃料も滞納して明渡を求められるまでになったが、本件賃貸借を解約すると、保証金等の返還を受けても違約金、原状回復費用や借入債務の返済に充てられ、造作費用の回収もできなくなるところから、本件賃借権の譲渡を計画したものである。しかし、折からいわゆるバブル経済の崩壊もあって、譲受希望者が見付からず、窮余、平成五年春に遠藤の紹介で始まった被告との交渉の過程でも、被告は自己資金がなく、寿司・割烹店の営業の経験も全くないこともあって交渉が順調に進まず、丸山は、いったんは譲渡をあきらめ、本件賃貸借の解約を考えたこともあり、その後の経過に照らすと、客観的には、原告の本件店舗における営業は早晩破綻を来たし、原告は本件賃借権を手放さざるを得ない状況に追い込まれていたと推認して妨げはない。また、平成五年一〇月ころの段階でも、被告が丸山に対し内装費の免除と保証金返還分の貸付けという新たな条件を提示するなどしており、譲渡条件の基本的部分において明確な合意が十分に形成されていたとはいえない。

他方、被告は、かねてより遠藤と家族ぐるみの付き合いがあり、不動産や株式を担保提供するなどしており、遠藤から本件賃借権の譲受けの打診を受けた際、同人が開業資金三〇〇〇万円を提供するとの説明を受け、このことを前提に、債権回収への期待もあって交渉を開始したものである。しかし、当時、遠藤は既に債務超過の状態にあったことが窺われ、資金調達源とされた南烏山の建物及びその敷地も、離婚訴訟による夫からの財産分与を見越したものであって、右建物には占有者が存在していたから、遠藤による右資金提供は客観的には必ずしも容易ではない状況にあった。もっとも、遠藤が離婚訴訟の控訴審係属中である平成五年八月ころには右物件の買主から代金の内金一〇〇〇万円を受領しながらこれを被告に提供していないことからすれば、遠藤は当初から自己の債務弁済に充てることを意図していたのではないかとの疑いも残るが、いずれにしても、遠藤から前記資金提供を受けることを前提に交渉を進めた被告を責めることはできない。さらに、前示の経緯からすれば、丸山としても、被告との交渉開始のごく早い時期に、遅くとも、被告から南烏山の建物の明渡を要求された平成五年一〇月ころには、遠藤が右のような経済状態にありながら被告に開業資金三〇〇〇万円の資金提供することを約束していること、この提供がない限り被告が本件賃借権の譲渡契約の締結に応ずる意思のないこと、遠藤の右資金調達はほかならぬ丸山自身が共同経営の当初から実質的に無償で貸与を受けて居住している右建物の明渡いかんにかかっていることなどの事情を了知していたものと推認するのが相当である。被告が、右明渡の遅延と呼応して丸山や遠藤に対して次第に不審の念を抱くようになり、将来の資金調達や採算への不安もあったところから、原告との本件賃借権の譲渡の交渉を白紙に戻したことも、事の成り行き上まことにやむを得ない面があったというべく、当初の見通しの甘さを指摘する余地のあることは格別、信義に反する態度であるとまでいうことはできない。

右に検討した諸事情を総合勘案すると、被告が本件賃借権の譲渡契約の締結を拒否した時点において、譲渡条件など契約の基本的内容につき当事者双方が明確な合意に達し、譲渡人となる原告に確実に契約が成立するとの合理的な期待を抱かせるに至っていたとはいえないし、また、被告がこの期待を裏切って正当視すべき理由もなく一方的に契約の締結を拒否するなど契約準備段階にある当事者として信義則上の義務違反と目すべきところがあったということもできない(なお、最高裁昭和五九年九月一八日第三小法廷判決・裁判集民事一四二号三一一頁、平成二年七月五日第一小法廷判決・裁判集民事一六〇号一八七頁参照)。そして、他にこれを認めるに足りる証拠はないから、右義務違反を原告主張のように債務不履行又は不法行為のいずれに構成するかを問わず、原告において、被告が本件賃借権の譲渡契約の締結を拒否したことにつき、損害賠償責任を追及する余地はないものといわざるを得ない。

二  以上の次第であるから、争点2について判断するまでもなく、原告の請求は理由がないから棄却を免れない。

(裁判官篠原勝美)

別紙物件目録〈省略〉

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